定年後の「起業」、背中を押すのは妻の役目だ

 

■定年とは「夫婦が親しんだ生活習慣が崩れる」こと

 「定年」というのは、サラリーマンにとって本当に一大事だと思う。大学を卒業後、同じ会社にずっと勤めていたとすれば約40年もその会社にいたことになる。私の夫(大江英樹氏、野村證券で個人資産運用業務などに携わり、60歳で会社を設立。現在は経済コラムニストとして幅広く活躍中)もそうだった。

 転勤があったり、異動があったり、昇格して立場が変わったりと変化はあったと思うが、それでも同じ会社にいたとすれば、その組織の中でのモノの考え方がしみ付いている。一方で、会社という「戦場」での戦い方も、ある意味慣れたもので、勝手がわかっている。

 高年齢者雇用安定法の施行によって、会社はシニア社員として嘱託雇用するなど65歳まで働き続けられる選択肢を提示してくれる。正社員のままという会社もあるが多くの場合、立場が変わり、収入は大幅に減ることになり、先日までの部下を上司と仰ぐことになるかもしれない。さて、どうするか? 

 妻の側からは「元気なんだし、収入面も考えると働いてほしい」という声があがる。加えて専業主婦であれば、ご主人が働いている日中の時間にのみ、習い事や趣味、お友達と食事も集中させ、ご主人がいる時間はずっと家にいるという暮らしをしている方が大半だ。

 そんな方々から深刻に聞かされるのは「毎日ずっと家にいられても困る」いう声だ。そこには、自分が構築してきた「楽しい世界」が、これから制約されて維持しにくくなるのではないか、という不安や不満が含まれている。

 夫婦いずれの側も慣れ親しんだ世界から引っ剥がされるのが「定年」である。

 

 

迷いに迷い、いったんは起業をあきらめた

 子供がまだ独立していなければ、もちろん父や母として、優先すべきことがあると思う。だが、巣立った後はふたりである。パートナーとして、自分と相手の将来に向き合うしかない。

■定年前の59歳でいったん「シニア社員」で残る決断

 わが家の場合、夫は前出のように、大手の証券会社という非常に中途退職率の高い業界で大学卒業以来、約38年間働いていた。いわゆる「営業一筋のサラリーマン人生」で、特別な能力もスキルも持っていないと本人も私も思っていた。ただ、定年になったとしても健康で動ける以上、「働く」ということは決めていた。

 そして「定年」までの生活を支える大黒柱としての「働く」という働き方ではなく、「自分が納得できること」「やりたいこと」を仕事とし、その仕事が継続できるぐらいは収入を得られるような仕事スタイルが望ましいと日頃から話していた。「起業」である。長年、金融商品を売る仕事をしていた経験を活かし、「買う側に立った情報発信をしたい」、という。

 「起業」なのか、それとも、年収は約3分の1になるものの長年勤めた会社で「シニア社員」として働くか。

 会社へ意思表示をする期限が刻々と近づいてくる。夫は、当時「起業するのもいいね」と口では度々言うものの、夫がやりたいという情報発信が仕事として成り立つのかどうか自信がなさそうだった。そもそも、独立してカネを稼ぐという、ビジネスの「とっかかり」さえ見えなかった。

 結局、未知の世界に飛び込むという踏ん切りもつかず、「定年」まで1年という段階では、一応「シニア社員」として残るという判断をした。

 だが、組織の中では「自分の仕事と権限」が明確でないと「居る」ことは可能だが、責任を全うすることができないものだ。

 「シニア社員」として、夫が与えられたポジションはまさにそこが不明瞭であった(当時の大企業は法改正に合わせて雇用形態は作ったものの、組織としてどう活用するかというレベルに至っていなかった企業が少なくなかった)。

 大手証券時代は、常に仕事に前向きに仕事をしてきた夫からすると、どこにエネルギーを注いでいいのかわからず、当惑しているように見えた。そして彼自身、その問題点に気づいていながら、1カ月ぐらいは自分のことなのに、見て見ぬふりをしていたように思う。

 

 

自分と夫の夢を実現するために、まず自分が会社をやめた!

 私は、彼らしくない姿にイライラしていた。口先では「起業する」といっているのに、一向に行動する気配を見せない。一方で、実は自分も大学卒業後20年以上会社に勤め、その慣れた会社員生活を手放さないでいた。

 「このままではいけない」と思った。ふたりで「こんな暮らしがしたいね!」と言っていた生活を手に入れようとすれば、私もきちんと向き合わなければいけない。そこで、前々から自分で考えていたことを思い切って実行することに決めた。

■収入を絶ち、支えることに徹したことで夫にスイッチが

 前々から考えていたこととは、70歳になっても続けられる「食」にかかわる勉強を始めることだ。これを今始めよう。ただし、夫が起業するならそれをまずは支えよう。そう考え、夫よりも先に、自ら退社することを決めた。

 今から考えると、そこで夫もようやく「起業」に対して本気モードに入ったように思う。まったく未知の「起業」にむかって、情報収集をし、猛烈な勢いで準備を整えていった。会社の理念、名前、そして運営上の原理原則(借り入れはしない、特定の企業や団体のひも付きにはならない)などが、瞬く間にできていった。おそらくそれまでずっと心の中では考えていたのだと思う。

 会社の登記をしたり、ロゴを決めるという人生初めてのことや、想定していた仕事が来なかったり、思わぬことから大きな仕事につながった起業当時の「悲喜こもごも」を一緒に経験した。

 借金がないので、経済面でのひっ迫感はなかったものの、大した仕事がなかった半年間は、霧がかかったような不安がそれなりにあった。しかし、今はありがたいことに、夫は現役時代以上に仕事で飛び回っている。私自身もご依頼いただく仕事が出始めてきたので、一緒にいる時間は大幅に減ったが、先が見えない時に、一緒に船に乗っていた記憶は鮮明に絆として残っている。

 これは一般論だが、女性の方がいざという時に腰がすわるように思う。また、地域やPTAといったいろんな集まりの場で、見ず知らずの人の中に急に放りこまれても生き抜いていくノウハウを体得している方も多いと思う。

 定年という節目でパートナーが今までと違う大海にこぎ出なければならないとすれば、自分も影響を受けざるを得ない。とすれば、長年の勘で「本人にもなるべく向いている海」に船出するように仕向け、灯台のようにその船を照らすもよし、その船に一緒に乗り込んで揺られてみるのもいいのではないだろうか。

 

 

東洋経済オンライン 11/10